コラム
2021年03月24日
死体解剖
【執筆者】中尾 巧
最近のテレビドラマでは「監察医朝顔」の視聴率が高い。
主演は上野樹里。大学の法医学教室で働く朝顔先生が死因究明のため犯罪死等の疑いのある遺体を解剖して事件の解決に寄与する姿を描くドラマだ。伏線として父の元刑事が東日本大震災で行方不明になったままの妻を探す物語でもある。
遺体の執刀前に毎回、朝顔先生が「教えてください。お願いします」と、遺体に語りかけるシーンが流される。死因解明に取り組む朝顔先生の真摯な姿が美しい。
毎週、妻もドラマを見るのを楽しみにしている。どうも、時代の先端の洋服を着こなす朝顔先生が娘の「つぐみ」らと暮らす家庭の描写に魅力を感じているようだ。ほのぼのとした雰囲気が醸し出され、単なる事件物でないドラマであるところにも人気の秘密があるのかもしれない。
私と言えば、ドラマに若干の違和感を覚える。
そのひとつが「監察医朝顔」のタイトルだ。
我が国では、公衆衛生向上等の目的で伝染病、中毒、災害等により死亡した疑いのある死体その他死因不明の死体を解剖することが許されている(死体解剖保存法第8条、食品衛生法第59条、検疫法第13条参照)。これを「行政解剖」と呼ぶ。
特定の地域(現在では東京都の区、大阪市、神戸市)では、監察医制度が設けられている。
監察医は知事に任命され、東京都監察医務院、大阪府監察事務所又は兵庫県監察医務室解剖室で行政解剖を行う。大学の法医学教室の医師が監察医を兼務していることが多い。
監察医制度を設けていない自治体では、遺族の承諾を得て死因を究明する「承諾解剖」が行われている。
司法解剖は、通常、警察が捜査上死因究明のため変死体又は変死や犯罪死の疑いのある死体について、裁判官の鑑定許可処分状を得て、大学の法医学教室の医師に鑑定を嘱託し、これを受けた医師が行う解剖である(刑事訴訟法第223条第1項、第225条)。
ドラマで朝顔先生が行う遺体(死体)の解剖は、司法解剖であって、監察医による行政解剖ではない。
要するに「監察医朝顔」というタイトルは実態と合っていない。「法医朝顔」とするのが相応しいと思うが、「監察医」の方が視聴者に受け入れやすいのかも知れない。
死因究明体制と新法
我が国の死因究明体制については、諸外国に比べ必ずしも十分なものとは言い難く、病死と判断して犯罪死を見逃す事例も起きている上、東日本大震災の際に遺体の身元の確認作業が困難を極める苦い経験をしたことなどから、その整備・充実が求められていた。
平成24年には議員立法で「死因究明等の推進に関する法律」が制定された。同法に基づく死因究明等推進計画による施策に関し、必要な取組みが進められたが、同法は時限立法のため、同26年9月に失効した。
同法と共に成立したのが「警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律」(以下「死因・身元調査法」という)だ。同25年4月1日に施行された。
死因・身元調査法により、司法解剖や行政解剖の対象外で警察等(警察及び海上保安庁)が取り扱う死因又は身元不明の死体について、警察署長が、司法手続を要せず、死因究明のための検査(体液等採取による薬物又は毒物検査、死体内部撮影よる画像診断)、解剖(以下「調査法解剖」という)、身元確認のために組織の一部の採取等の措置を医師に行わせることができるようになった(第5条、第6条、第8条)。
同法の成立を契機に神奈川県では監察医制度を廃止した。
因みに、文部科学省高等教育局医学教育課「死因究明の推進にかかる取組について」によると、大学における解剖実施件数は、平成25年が12,420件、平成27年の13,028件をピークとし、12,000件余で推移し、令和元年は12,068件だった。
内訳をみると、司法解剖は、平成25年が8,774件、平成26年の8,949件をピークとし、ほぼ横ばい推移し、令和元年が8,581件だった。調査法解剖は、初年度の平成25年が1,319件、同26年が1,721件、その後も増加傾向にあって、令和元年は2,373件に上っていた。監察医解剖は、平成25年が1,319件だったが、平成28年には347件に激減し、令和元年には0件だった。
承諾解剖は、平成25年が1,038件、その後1,000件前後で推移し、平成29年の1,466件がピークで、令和元年が1,114件だった。
その一方で、大学の法医学教室で司法解剖等を行う教員(常勤医)と大学院生(医師)の数は、平成22年当時、教員が僅か141人に過ぎず、大学院生は57人だった。その後増加しているが、令和2年でも教員は152人。10年間で11人しか増えていない。大学院生は逆に12人減の45人である。誠に脆弱な死因究明体制と言わざるを得ない。
さらに、今後高齢者の孤独死など死亡数の増加が予想されることや、大規模災害で困難を極める死体の身元確認作業に備え、災害対応を強化する観点からも、死因究明や身元確認体制を更なる整備・充実をさせることの重要性が高まっていた。
これらの事情を踏まえ、死因究明等に関する施策を推進するための恒久法として議員立法で、平成元年6月12日「死因究明等推進基本法」が制定された。同法は令和2年4月1日に施行された。
同法は「死因究明等に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって安全で安心して暮らせる社会及び生命が尊重され個人の尊厳が保持される社会の実現に寄与する」ことを目的とし、死因究明等の推進に関する基本理念、国・地方公共団体の責務、大学による人材育成・研究の努力義務を定めた。
死因究明等に係る基本的施策として
①死因究明等に係る専門的な医師等の人材の育成及び資質の向上と適切な処遇の確保
②大学等における死因究明等に関する教育研究施設や拠点の充実と整備
③死因究明等を行う専門的な機関の全国的な整備
④警察等による死因究明等のため、警察等における調査等の実施体制の充実
⑤医師等による死体の検案及び解剖等の実施体制の充実
⑥死亡時画像診断の活用等死因究明のための死体の科学調査の活用
⑦身元確認のための死体の科学調査の充実と身元確認に係るデータベースの整備
⑧死因究明により得られた情報の活用と遺族等に対する説明の促進
⑨死因究明により得られた情報の適切な管理
が定められた。
そのほか、次のような規定が置かれた。
政府は、到達すべき水準や個別的施策等を定めた死因究明等推進計画を閣議決定により定め、その実施状況の検証・評価・監視を行い、3年に1回、同推進計画の見直しを行う。
厚生労働省に特別の機関として、死因究明等推進本部を置き(本部長・厚生労働大臣)、①推進計画案の作成、②関係行政機関相互の調整、③施策の実施状況等の検証・評価・監視等を行う。
地方公共団体は、死因究明等に関する施策の検討や、その実施状況等の検証・評価のための死因究明等推進地方協議会の設置に努める。
司法解剖鑑定書
死因究明等推進基本法が施行されたとはいえ、司法解剖鑑定書の未作成問題が残る。
平成30年5月3日付けの「産経ニュース」は
「司法解剖が平成27年と28年、全国で計16,750件実施された一方、捜査当局の委託を受けた大学などの解剖医による当局への鑑定書提出件数は両年度で計13,530件だったことが2日、警察庁の開示資料などで分かった。統計が暦年と年度で単純比較はできないが、3,000件以上の違いがあり、年間、千件単位で鑑定書が未作成だった可能性がある。複数の大学は背景として法医学分野の人材不足を挙げる。作成は法律で義務付けられていないが、専門家は『鑑定書がなければ解剖医の死亡などで過去の事例が検証できず、犯罪を見逃す恐れがある。早急に改善すべきだ』と指摘する。警察庁よると10年(平成22年)以降、検視や解剖などで事件性なしとされた遺体が後に犯罪死と判明したのは54件。同庁は『早期に提出を受けるよう指導している』という」 と報じた。
私も、検察官当時、大学の法医学教室で司法解剖終了後、口頭で死因を述べるだけで、後日司法解剖鑑定書を作成してくれない教授もいた。警察としては解剖補助をした警察官が作成する捜査報告書で鑑定書に替えるしかなかった。
これは教授個人の資質の問題ともいえるが、一般に大学教授が授業や研究などに追われ、鑑定書作成に充てる時間が十分にとれていないことも一因だろう。さらに鑑定人に支払われる謝金が少ないことも影響していたように思う。
平成21年当時、警察から鑑定人には、司法解剖謝金と死体鑑定謝金が支払われていたが、司法解剖謝金は、教授級が1時間8,940円、准教授(講師等を含む)が1時間7,460円の時間給だった。死体鑑定謝金は鑑定書1枚当たりの単価を2,330円とし、執筆謝金に判断料の5,000円を加えて計算されていた(同年3月31日付け警察庁通達「司法解剖に伴う経費について」及び事務連絡)。
最近では、司法解剖謝金は若干増額され、死体鑑定謝金は判断料加算を廃止し、鑑定書の一定枚数に応じた基準額が支払われているという。
おわりに
かつて、ある大学の法医学教授が「昔から法医学はマイナーな学問だというイメージがある。大学に法医学専門家のポストも講座数も少ないため、人材が集まりにくい」と、嘆いていたことを思い出す。
前述のとおり、司法解剖等を行う大学の教員(常勤医)は、令和2年時点でも僅か152人で、医師の大学院生45人を含めても200人にも満たない。
未だに脆弱な死因究明体制だが、一部の大学では、法医学分野の教員ポストを確保し、1ないし4名を雇用する動きもある。政府も「死因究明等に係る医師等の人材の育成、資質の向上」や「死因究明等に関する教育・研究の拠点の整備」に向けて積極的に取組みを推進していると聞く。期待を込めて注視していきたい。