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刑事部長

【執筆者】中尾 巧

 コロナ禍で多くの企業ではテレワークが進み、働き方に大きな変化が起きているが、テレワークによって労働生産性が向上するとは必ずしも限らない。仕事の本質もそれほど変わるものでもないだろう。
 先日、そんなことを考えながら、書店の話題書コーナーで本を探していると、「部長ほどおもしろいものはない!」という帯コピーが目に入った。
 本のタイトルは『部長って何だ』(講談社現代新書)だ。
 著者は元伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎氏だ。早速、手に取り購入した。頁を捲ると、「部長は新商品の開発や新規事業の開拓だけにとどまらず、会社の将来を支える人材を育成するという重要な役割も担うだけに、そのやりがいは会社人生最大のものです。部長ほどおもしろい職業はそうそうありません」、「部長のあなたでなければできない仕事は多く、それが会社の進む方向を左右し、あなたの人生をも動かします」とある。全く同感だ。

 振り返ると、検察における私の部長経験は、神戸地検公判部長・刑事部長、大阪地検総務部長・刑事部長、大阪高検刑事部長である。部下職員数は大阪地検総務部長のときが約120人と一番多かったが、面白さから言えば地検の刑事部長だった。
 刑事部長は、日々警察が送致してくる事件記録を読み、事件を担当させる検察官を指名する。これを事件配点という。事件の見通しを立て、部下検察官の繁忙度や捜査能力なども頭に浮かべながら最も適任と思える検察官に事件配点をする。
 検察官は必要な捜査を終えれば、事件の処分について上司の決裁を受ける。
 検察官は、一人一人が独立官庁として、その権限と責任において捜査し、被疑者の起訴又は不起訴の処分をするほか、裁判に立会するなどの検察事務に従事する。
 その一方で、検察官一体の原則によって、その上司の指揮監督に服す義務がある。そのため、捜査や公判活動等に関し上司の決裁を受けなければならない。仮に上司の決裁を受けずに起訴をしても、それが違法、無効のものになることはない(伊藤栄樹著『新版検察庁法逐条解説』56頁参照)。実際にもそのような事例はない。

 大阪地検刑事部長当時、日々処分決裁をした事件の中には捜査処理上参考になる事例が少なくなかった。私は部下検察官の捜査能力の向上と情報共有を図るため、このような事例の概要と問題点を解説付きで各検察官に周知したいと思った。その方法として思いついたのは、「刑事部速報」を発行し、各検察官に配布することだった。
 本来ならば、事件を捜査処理した主任検察官に「刑事部速報」の原稿を起案させるのが最も適切かもしれないが、それでは捜査以外に検察官の仕事を増やすことになる。三人の副部長に輪番で起案させれば問題は解決するが、余り詳しいものでは、多忙な検察官に読んでもらえないおそれもある。副部長にはA4のペーパー2枚程度に簡潔にまとめて原稿を提出するよう注文を出した。
 また、警察と情報を共有するため、大阪府警察本部刑事部を通じ、管内各警察署の第一線の捜査員に「刑事部速報」を毎号配布することにした。
 何よりも「刑事部速報」には、いわば捜査のノウハウや智恵が詰まっている。特に第一線の捜査関係者の執務資料として活用できると思った。

 ある不動産侵奪・競売入札妨害事件を解説した「刑事部速報」(平成9年5月10日発行・若干補正)を紹介したい。

【事案の概要】

 多額の負債を抱えたS会社の経営が破綻し、社長が夜逃げをした。これに目をつけた山口組系の暴力団組員Aは、S会社が所有・管理する建物に無断で入居して土地建物(以下「本件物件」という)を占拠して侵奪した。
 その後、本件物件につき不動産競売開始決定が出たことを知ったAは、入札希望者を排除しようと考え、本件物件に菱形シールと「A興業」と大書した看板を掲げた。一見すると暴力団関係者が占有管理しているかのような状況を作った。
 さらに、Aは、現況調査に赴いた裁判所の執行官に「S会社から買い取るつもりで交渉している。既に約束ができているのでここに住んでいる」と嘘を申し立てたほか、裁判所には「本件物件は全部自己所有のものだ」との虚偽の回答書を送付した。
 もって、威力と偽計を用いて公の入札の公正を害すべき行為をした。

【解説】

 この種事犯は、民事紛争が絡む。ややもすると、消極的な事件処理になりがちである。一方、民事保全を担当する裁判所にとっては極めてゆゆしき問題だ。法律構成などを十分検討して事件を処理する必要がある。
 本件は、府警捜査四課から地検刑事部に法律構成や捜査着手時期等について事前相談があり、四課と緊密な協議を行いながら法務本省の見解を確認した上、Aを逮捕・勾留し、その自白も得て起訴した事案である。
 当初の主な問題点は、競売入札妨害罪(刑法第96条の3第1項)にいう偽計又は威力の該当性の有無だった。要するに①菱形シールと看板を設置したことが威力に当たるか、②執行官に「買い取るつもりで交渉した」という程度の虚偽の申立てが偽計といえるかにあった。
 ①の点については、一般常識、取り分け関西での常識として菱形のシールと「A興業」なる看板はそれ自体山口組系暴力団を意識させる。このような表示のある物件の競売入札が困難になることも明らかである。菱形シールや看板の掲示が何らかの必要性、例えば組事務所として使用する必要性が認められるならともかく、不動産競売物件の入札を牽制する目的であることは一見して明白だ。実際A自身その旨自白している。
 ②の点については、確かに民事的にいえば、Aが競落人に対抗できない不法占拠者と認められるので、当然その占有を排除できる。本件でもAは競落人に対抗できる権利関係を主張したわけではない。この理屈で考えると、Aが執行官に少し嘘をついたからといって、それが入札に影響を及ぼすとは断定できないだろう。
 しかし刑法の解釈は理屈だけではない。Aの申立て内容は、執行官がそのまま現況報告書に記載することになっている。その記載をみて、買い取るつもりで交渉したという人間がいて、現に住んでいるとなれば、その人間に占有権原があるかどうか、あるいは占有者の主張が民事的にどの程度の意味を持つかなどという問題とは関係なく、その物件を入札により競落しようと考える人はいなくなるはずだ。そのことが正に偽計による入札妨害行為に該当するものと考えるべきである。
 本件捜査に当たって留意したのは、裁判所が処罰を望んでいることを再確認し、この種犯罪が裁判所に多大な支障を及ぼすことのほか、Aの妨害行為が入札希望者にどのような影響を与えるかという点についても関係者から具体的な供述を得るように努めたことである。
 最後に、このような妨害行為が競売開始決定の前になされた場合でも、同様に考えてよいのかという問題がある。従来の起訴例をみると、いずれも、競売開始決定後の妨害行為を捉えているが、将来の競売開始を見越して妨害行為をする事例も少なくないと思われるので、問題を残すであろう。

 追って、平成23年法律第74号の刑法の一部改正により強制執行関係の妨害に対する刑法の罰則(第96条の2ないし96条の5)が拡充、整備されたことに伴い、これまでの第96条の3の規定も改正された。
 同条第一項で対象としていた「公の競売又は入札」のうち、強制執行に関するものは新しく第96条の4(強制執行関係売却妨害)で規定することになった。これを除く公共の契約に関するもののみを対象とする規定として第96条の6が新設され、これを明らかにするため、同条の題名も「公契約関係競売等妨害」とし、同条第一項の対象も「公の競売又は入札で契約を締結するためのもの」に改められた。その一方で改正後の第96条の3は新設された強制執行行為妨害等の罪の規定になった。
 したがって、今回「刑事部速報」で紹介した事件は、現在ならば改正後の第96条の4(強制執行関係売却妨害)の規定が適用されることになる。
 同条は「偽計又は威力を用いて、強制執行において行われ、又は行われるべき売却」を対象としているので、競売開始決定の前に公正を害すべき行為がなされた場合でも処罰できることになった。もっとも、本罪が成立するためには、現実に強制執行を受けるおそれがある客観的な状態を生じていることが必要である(前田雅英編『条解刑法第4版316頁参照)